グローバルCOE公開講座「浄瑠璃」
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開催概要
日時 | 2009年10月1日(木) 14:00~16:00 開場13:30予定 | ||
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場所 | 早稲田キャンパス大隈小講堂(大隈記念講堂地下) | ||
主催 | 日本演劇研究コース | ||
概要 | グローバルCOE公開講座「浄瑠璃」 稀曲奏演 義太夫「和田合戦女舞鶴」市若初陣の段 浄瑠璃:豊竹英大夫 三味線:鶴澤清友 解説:「和田合戦女舞鶴」について 内山美樹子(早稲田大学教授/グローバルCOE事業推進担当者)
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詳細情報
【開催報告】「和田合戦女舞鶴」は元文元年(1736)大坂・豊竹座で初演された全五段の時代物。三段目切「市若初陣の段」は、戦前までは人口に膾炙した曲であったが、1945年以後は稀曲となっている。ただ十世豊竹若大夫が昭和25年(1950)に襲名披露曲として語り、最晩年昭和40年(1965)にも名演を聴かせている(東京・大阪)ので、若大夫を知る世代には忘れ難い曲である。大阪の文楽公演ではこの1965年若大夫所演以後、上演されていない。東京の文楽公演では一度取り上げられたが、強い手応えを残すことなく、以後二十年間上演されていない。
日本演劇研究コース・人形浄瑠璃文楽の研究会は、初代豊竹若大夫(越前少掾)初演、東風の代表曲「和田合戦女舞鶴 市若初陣の段」の現代的甦りを期して、十世若大夫の孫である豊竹英大夫師に取り組みをお願いし、三味線は鶴澤清友師に御引き受けいただいた。
2009年10月1日公開講座「浄瑠璃」の日程が確定する以前から、英大夫師と浄瑠璃研究会は二回の講演会(2008年3月24日・2009年2月24日)、その他の機会を通じて、「和田合戦女舞鶴 市若初陣の段」の戯曲内容を読み抜いた。公開講座「浄瑠璃」のチラシに「見えない政争の渦に巻き込まれ、残酷な選択を迫られる板額の悲劇」とある「残酷な選択」とはどういうことか、板額が市若に自ら切腹させるように仕向けるのはなぜか。作品を読み直していく中で、英大夫師は、板額の行為は「市若の顔を立てるということだ」と喝破した。
親が子供をだまして自害させ身替りに立てる、残酷でいやな芝居、といったこの作品への否定的評価(かなり一般化している)は、2009年10月1日英大夫・清友両師による「市若初陣」の感動的な舞台の前に、根拠を失った。「こんな素晴らしい作品を語れて仕合せだ」「市若はかわいそう、ではない。この少年なりに、いい人生を生きたのだ」(奏演後の英大夫師談)。二十年以前の演者にはなかった作品との出会いを、英大夫・清友両師は、そして聴衆は、体験することができたのである。
英大夫・清友「和田合戦女舞鶴 市若初陣の段」は10月10日午前11時、NHKラジオFMで放送された。放送時間の関係で十数分のカットを余儀なくされたのは残念だが、ともかく全国に放送され、この曲が再認識される契機となり得るのは幸いである。
【内容】
和田合戦は起こらない――鎌倉幕府の北条政権樹立を可能にした和田氏の族滅「和田合戦」。その歴史上の戦いを起こさせないために、水面下で行なわれた工策とは…。
「和田合戦女舞鶴」は、元文元年(一七三六)大坂・豊竹座で初演された全五段の時代物。後に「義経千本桜」「一谷嫩軍記」の立作者となる並木宗輔の単独作で、『吾妻鏡』などに記す和田合戦(一二一三年)の史実を大胆に作り変えた野心作である。三段目切「市若初陣の段」は、初代豊竹若太夫(越前少掾)の初演。
十世豊竹若大夫最晩年の名演(一九六五年)が知られるが、その後は東京の文楽公演で一度上演されたのみ。
見えない政争の渦に巻き込まれ、残酷な選択を迫られる板額(はんがく)の悲劇を、豊竹英大夫・鶴澤清友が、現代の観客に鋭く問いかける。