2007年度活動報告
Ⅰ.概要
西洋演劇研究コースでは、多角的な視点から西洋演劇を考察し、日本の西洋演劇研究のレヴェルアップに貢献することを目指している。また、研究員の博士論文執筆を支援するとともに、国内はもとより、海外での学会発表や国際的な学術誌への論文投稿を促進し、国際的に活躍し得る演劇研究者の育成を図っている。
■担当者
<事業推進担当者> 〈五十音順〉
秋葉裕一 早稲田大学理工学術院教授
岡室美奈子 早稲田大学文学学術院教授
小田島恒志 早稲田大学文学学術院教授
貝澤哉 早稲田大学文学学術院教授
澤田敬司 早稲田大学法学学術院教授
坂内太 早稲田大学文学学術院専任講師
藤井慎太郎 早稲田大学文学学術院准教授
冬木ひろみ 早稲田大学文学学術院准教授
丸本隆 早稲田大学法学学術院教授
三神弘子 早稲田大学国際教養学術院教授
水谷八也 早稲田大学文学学術院教授
本山哲人 早稲田大学法学学術院准教授
八木斉子 早稲田大学政治経済学術院教授
<客員教員>
アンジェラ・ムアジャーニ 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員教授(2007 年度まで)、メリーランド大学名誉教授
ヨーアヒム・ルケージー 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員教授(2008 年度)、カールスルーエ大学研究員
川島健 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師・早稲田大学高等研究所助教
高橋信良 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師千葉大学准教授
谷川道子 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師(2007 年度まで)、東京外国語大学教授
長木誠司 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師(2007 年度まで)、東京大学准教授
森佳子 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師(2007 年度まで)
間瀬幸江 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師(2008 年度より)
ガヴィン・ダフィ
早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員講師(2008 年度より)
<専任研究協力者>
アントニー・ニューエル 早稲田大学政治経済学部教授
オディール・デュスッド 早稲田大学文学学術院教授
<客員研究助手>
村瀬民子 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員研究助手
鈴木辰一 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 客員研究助手(2008 年度より)
Ⅱ.イヴェント
1. 研究集会「オペラが観た日本/日本が観たオペラ~黒船・夜明け・オリエンタリズム~」
2008 年1 月12 日(土)13:00 ~ 17:30 /早稲田大学小野記念講堂
第1 部:若杉弘氏(新国立劇場オペラ芸術監督)に続いて、栗山昌良氏(演出家)による講演第2 部:小川さくえ氏(宮崎大学教授)・片山杜秀氏(評論家)・長木誠司氏(東京大学准教授)・袴田麻祐子氏(GCOE 研究員)以上4 名によるシンポジウム
この研究集会は、山田耕筰作曲のオペラ『黒船―夜明け』(1939)の新国立劇場公演に合わせて行われたものである。第1 部の著名な音楽家と演出家による基調講演では、オペラという輸入芸術を、日本に根付かせるために行われたさまざまな努力や試みについて、率直に語って頂いた。両氏の深い学識と豊かな経験から、印象深いエピソードが語られ、質疑応答も活発だった。第2 部の4 人の研究者による研究発表では、日本におけるオペラの受容と、オペラ作品に捉えられた日本の姿を、それぞれの専門的な立場より語って頂き、受容史を理解するとともに、日本におけるオペラ芸術の未来について、様々に思いをめぐらす契機となった。
2.講演会「スタニスラフスキーと演劇革命」
講師 アナトリー・スメリャンスキー氏(モスクワ芸術座付属演劇大学学長)
2007 年11 月7 日(水)16:30 ~ 18:00 /西早稲田キャンパス26 号館(大隈記念タワー)302 会議室
演劇学に関する国際的な学者であり、「スタニスラフスキー全集」の監修責任者でもあるスメリャンスキー氏に、スタニスラフスキーによって考案された演劇教育システムとその発展、現代演劇への影響をご講演頂いた。世界の演劇教育のスタンダードとされるスタニスラフスキー・システムとともに、政治的に困難な時代のロシア演劇が、着実に進歩した経緯を、ユーモアを交え生き生きと語って頂いた。
Ⅲ.コース全体としての活動
■演劇論講座
「メディア社会の演出家―シュテファン・プーハーとミヒャエル・タールハイマー」
講師:平田栄一朗氏(慶応大学文学部准教授)
2007 年11 月30 日(金)18:00 ~ 20:00 /西早稲田キャンパス6 号館318 教室(レクチャールーム)
2006 年度までの21 世紀COE では、毎年、著名な西洋演劇研究者をお招きして、海外の演劇研究や上演の状況について講演とディスカッションを行い成果をあげてきた。本講演会は、それを継承し、2007 年度より開始されたグローバルCOEプログラムにおいて、西洋演劇研究コース演劇論講座の第1 回として開催された。今回は、新進気鋭の若手ドイツ演劇研究者をお招きし、講演と貴重な映像によって、ドイツ演劇の現代的な事情を紹介していただいた。平田講師による講演内容は、次のとおりである。
ドイツ演劇において、「演出」の重要性はきわめて高く、古典的な脚本を、現代に即して上演するために、毎年のように、新奇な演出の工夫が凝らされている。タールハイマーやプーハーはいずれも、メディア社会に対して、ポップ文化やキッチュ性も含めたそのメディア性を、観客に対する有効な手段として活用する演出家であり、その演出手段には、メディア社会の皮相な一面を批判しつつ模倣することもまた含まれている。この説明に対し、質疑応答では、演劇におけるメディア的な手段の模倣は、メディア社会へのむしろ追随であり、批判とはなり得ないのではないかという疑問が提示された。平田講師は、そのような危険性を認めながらも、社会批判精神の旺盛なドイツ演劇界では、前述の戦略は一定の効果がある点を指摘した。また、上記の二人以外に、マルターラーなどの演出家において、また別個の手段による演出が試みられている点を、今後の展望として示唆した。
Ⅳ.各プロジェクトの活動(担当者五十音順)
【比較演劇研究】(秋葉裕一)
ベルトルト・ブレヒトの受容や影響を、さまざまな文化圏、異なった国々、いろいろな時代や社会のうちに眺める。2007 年度は、日本におけるブレヒト受容の研究のとりまとめを、資料の整理や分析に取り組みつつ行った。また、日本古典演劇研究コースと連携し、チェコ演劇の調査に着手した。
【ベケット・ゼミ】(岡室美奈子)
2006 年に21 世紀COE と日本サミュエル・ベケット研究会の主催により開催した生誕百年記念国際ベケット・シンポジウムの成果をさらに発展・継承すべく、以下の活動を行なった。
1.ベケットゼミ特別講演会
講師:シェフ・フーパーマンズ氏(ライデン大学教授)
2007 年 10 月12 日(金)18:30 ~ 20:00 /西早稲田キャンパス6 号館318 教室(レクチャールーム)
ベケット研究において著名なフーパーマンズ氏に、ベケット散文・演劇作品における水平運動と垂直運動の対比についてDVD などの映像資料を交えてご講演頂いた。ベケットの作品には同じ場所を何度も往復し、水平性を強調する運動に対して、苦境からの脱出を示唆する垂直性への希望が対比される。どのような瞬間に垂直運動の可能性は現れるのか? フーパーマンズ氏の講演は参加者との活発な対話へと導き、イメージと運動における重要な考察を我々に促した。
2.ベケットゼミ特別セミナー
講師:アンジェラ・ムアジャーニ氏(メリーランド大学名誉教授)
2008 年1 月18 日(金)13:45 ~ 15:45 /早稲田大学戸山キャンパス表象メディア専修室
2008 年1 月31 日(木)14:40 ~ 16:40
2008 年2 月15 日(金)14:40 ~ 16:40
2008 年2 月28 日(木)14:40 ~ 16:40
2008 年3 月13 日(木)14:40 ~ 16:40
2008 年3 月27 日(木)14:40 ~ 16:40
2008 年1 月から3 月までアメリカの著名なベケット研究者であるムアジャーニ氏を客員教授としてお迎えし、英語での集中セミナーを開催した。氏は研究者としてだけでなく教育者としても名高い。このセミナーでは、受講生は単に講義を聴講するだけではなく、積極的に研究発表を行ない、ムアジャーニ氏の丁寧な指導を受け、自らの研究内容を国際的な場で発信するための能力レヴェルアップの場として活用することができた。
3.Samuel Beckett Today/Aujourd’hui 第19 号編集
オランダのロドピ社から刊行されている国際的ベケット研究誌の第19 号が上記の国際ベケット・シンポジウムの特集号となることになり、岡室がチーフ・エディターを務め、ベケット・ゼミのメンバーがサポートを行なった。同誌は2008 年に刊行予定。
【現代における西洋演劇の上演とその周辺】(小田島恒志)
日本における外国戯曲の翻訳・演出・演技・観客等、具体的な上演の実例や実践に即した研究を推進し、演劇研究においていかに「上演」を視野に収めうるか検証した。
【演劇理論研究】(川島健)
現代演劇研究の古典であるLionel Abel のTragedy and Metatheatre を輪読形式で熟読した。このゼミの主眼は英語の読解力を高めることであるが、エイベルが言及している演劇作品も丁寧に参照し、演劇を研究する上での共通言語を探り、活発な議論を行った。以下がその記録である。
2007 年11 月12 日(月) 14:40 ~ 16:10 川島健
2007 年11 月19 日(月) 14:40 ~ 16:10 久米宗隆
2007 年11 月26 日(月) 14:40 ~ 16:10 片岡昇
2007 年12 月3 日(月) 14:40 ~ 16:10 藤原麻優子
2007 年12 月10 日(月) 14:40 ~ 16:10 三輪冬子
2007 年12 月17 日(月) 14:40 ~ 16:10 梅山いつき
2008 年1 月21 日(月) 14:40 ~ 16:10 宮本啓子
2008 年1 月28 日(月) 14:40 ~ 16:10 景英淑
2008 年2 月4 日(月) 14:40 ~ 16:10 久米宗隆
2008 年2 月18 日(月) 14:40 ~ 16:10 宮本啓子
2008 年2 月25 日(月) 14:40 ~ 16:10 北原まり子
【西洋演劇身体表象研究】(坂内太)
西洋演劇上演記録のアーカイブを構築する可能性と方法を探りつつ、西洋演劇における身体論研究の基盤構築を推進した。
【ポストコロニアル演劇研究】(澤田敬司)
ポストコロニアル状況の中から生まれた演劇作品について考察を行った。また、民族の伝統と現代、多文化の混淆など、演劇におけるインターカルチュラルな様相についても考察した。検討するテクストは、演劇のみならず、映像も射程に入れた。ニュージーランド・フェスティバルにてフィールドワークを行い、サモア演劇、マオリ演劇について、またアデレード・フェスティバルで、アボリジニ演劇について、調査を行った。
【フランス語圏舞台芸術】(藤井慎太郎)
フランス演劇を核に、その周辺の地域や芸術領域をも視野に収めながら、日仏演劇協会とも連携して研究を進めた。2007 年度は、『演劇とはなにか』翻訳プロジェクトを軸として、2008 年度中の翻訳出版を視野に入れて、月1 回程度の研究会および毎週木曜日の講読ゼミを開催した。同時に同プロジェクトに関連して、12 月にはマリ=マドレーヌ・メルヴァン=ルー氏(国立科学研究所)、3 月には『演劇とはなにか』の著者の1 人であるクリストフ・トリオー氏(パリ第7 大学)、同書のあとがきを執筆したエマニュエル・ヴァロン氏(パリ第10 大学)の3 人の演劇研究者をフランスから招聘し、講演会やセミネールを開催した(マリ=マドレーヌ・メルヴァン=ルー氏の招聘に関しては芸術文化環境研究コースの主催となるため同コースの報告を参照されたい)。さらに来日中であった演出家ジゼル・ヴィエンヌ氏によるヴィデオ・レクチャーも開催した。
■「演劇とはなにか」月例研究会日程
2007 年10 月20 日(土)16:00−20:00 戸山キャンパス39 号館第7 会議室
2007 年11 月16 日(金)17:00−21:00 戸山キャンパス39 号館第7 会議室
2007 年12 月14 日(金)17:00−21:00 西早稲田キャンパス14 号館8 階801 会議室(講師:マリ=マドレーヌ・メルヴァン=ルー、芸術文化環境研究コースとの共催)
2008 年1 月11 日(金)17:00−21:00 戸山キャンパス39 号館第7 会議室
2008 年3 月3 日12:00−14:00 恵比寿ガーデンプレイス(講師:クリストフ・トリオー)
2008 年3 月4 日12:00−14:00 恵比寿ガーデンプレイス(講師:クリストフ・トリオー)
2008 年3 月5 日14:00−18:00 戸山キャンパス36 号館演劇映像実習室(講師:クリストフ・トリオー、エマニュエル・ヴァロン)
2008 年3 月6 日13:00−16:00 日仏会館501 会議室(講師:エマニュエル・ヴァロン)
2008 年3 月7 日12:00−16:00 日仏会館501 会議室(講師:クリストフ・トリオー)
■ヴィデオ・レクチャー「演劇、人形、死/生―ジゼル・ヴィエンヌを迎えて」
講師:ジゼル・ヴィエンヌ氏(演出家)
2007 年 12 月7 日(金)18:00 ~ 20:00 /西早稲田キャンパス6 号館318 教室(レクチャールーム)
若くしてフランス演劇界を代表する演出家、ジゼル・ヴィエンヌ氏を迎えて、 日本では未公開の作品を、映像によってご紹介いただいた。上映されたのは、7人の俳優と等身大の人形が登場し、氷雪を模した舞台美術と即興的な音楽による、死と美に彩られた独特の作風の演出作品である。演出家自身から、その発想の源、作品創造の方法論、哲学について伺うことにより、その作品の理解を深めるとともに、フランス演劇界の現在について考察する機会となった。(フランス語/日本語逐次通訳)
■講演会「地方分権・文化行政・舞台芸術環境 今日のフランスにおける展望と課題」
講師:エマニュエル・ヴァロン
2008 年3 月7 日(金)18:30 ~ 20:30 /日仏会館ホール
(日仏演劇協会、東京芸術見本市との共催)
フランスでは1940 年代から、パリだけでなく、地方都市にも公共劇場や教育機関を設置するなど「演劇の地方分権」を推進してきたが、近年、いくつかの困難にも直面している。フランス政府の文化政策に詳しいヴァロン教授にフランスにおける文化の地方分権の現状と今後について話していただいた。聴衆にはプロフェッショナルが多く、きわめて活発な質疑応答がなされた。(フランス語/日本語同時通訳)
【シェイクスピア・ゼミ】(冬木ひろみ)
シェイクスピア、および同時代の劇作家について、最先端の現代批評と緻密なテクスト解釈、それに実践という多方面からアプローチをし、シェイクスピア研究の水準を高める場としている。
■講演会:2008 年3 月12 日(水)15:00 ~ 17:00
講師:ダニエル・ガリモア氏( 日本女子大学専任講師) “‘Smelling a rat’: a corpus linguistic approach to Tsubouchi Shoyo’s Hamlet translations.”
ガリモア氏の講演は、坪内逍遥訳の『ハムレット』を取り上げたものであり、逍遙がシェイクスピア作品を翻訳する際にどのような工夫を行っていたのかを、言語学的な分析を通して明らかにしていくというものであった。テクストから証拠を1 つ1 つ具体的に提示し、逍遙のシェイクスピア作品翻訳において顕著な特徴は、歌舞伎独特の表現を用いたものであるということを示した。本講演は、日本という文化の中におけるシェイクスピアのテクストと舞台との関係を探るものであった。
【オペラ/音楽劇の総合的研究】(丸本隆)
事業推進担当者(丸本)が在外研究中であったが、月に1 度のペースで研究会が開催された。また1 月には、新国立劇場の若杉弘氏を招いてのシンポジウムを行った(上記Ⅱイヴェント参照)。
【17 世紀フランス演劇研究会】(オディール・デュスッド)
2007 年度の活動は、30 年以上に渡って続けられている17 世紀フランスの戯曲講読と、月1 回のペースで開かれる例会での研究発表の二つに分けられる。私たちの研究会が不定期で発刊している研究誌「エイコス」に、メンバー個人の作品講読のささやかな成果として、作品梗概集を収録しているが、これをベースにした「戯曲事典」の発刊の企画は、グローバルCOE に参加することにより可能となったものである。「戯曲事典」としてバランスのとれた作品を載せる必要から、追加作品を選び出して、メンバーに割り当て、書式などを含め、細部に至るまで改めて検討を行っている。2007 年度後半は、各自がそれを個人的に読み、原稿を用意するという作業にあてられた。
第2 の活動は、メンバーが集まってなされる研究発表である。ここ数年来のフランスでの傾向として、17 世紀演劇研究の分野でもレトリックを視点とした演劇論の発表が多かったことがあげられる。またそれを踏まえた上での演技論も見られるようになった。ちなみにこの研究会でも最近二年ほどは、その2点を含んだシャウッシュ『俳優術』を読み、将来に見込まれる翻訳の用意をした。この事情を反映して、2007 年度後半の研究発表は、レトリックを中心にすえるものが多かった。10月、11月は、上述の『俳優術』の著者が編集した「俳優の演技に関する7 つの概論」から、18 世紀半ばに出版されたジャン・ポワソン著『聴衆に向けてうまく話す術についての考察』の紹介がなされた。10 月は前半部分で、17 世紀当時の弁論術と俳優の演技の関係に関する説明がなされ、11 月は後半の紹介、舞台人の視線から見た俳優の演技に関する具体的な考察が明らかにされた
(担当冨田)。
12 月は、絵画におけるレトリックが俎上にあがった。ジャクリーヌ・リ ヒテンシュタイン『色彩の雄弁術』(Jacqueline LICHTENSTEIN: La Couleur
eloquente Flammarion, 1989)の紹介である。以下が発表者による概要の説明である。「本書は17 世紀後半の「色彩論争」に芸術のみならず、文化や社会一般にかかわる転換をみてとる。色彩論争とは、絵画における「デッサン」と「色彩」の優劣を問題にするものだが、プラトン以来の哲学的な伝統のなかでは、つねにデッサンが優位であった。なぜなら、デッサンとは、今日いうところの「デザイン」であり、超越的な場所からの指令を含意するものだからだ。それにたいして、色彩論争において色彩の優位がとなえられたとすれば、それは超越性の拒否であ
り、18 世紀の「革命」の地平をつくりだしたといえるだろう。ただ、この転覆は、「色彩(couleur)」から「彩色(coloris)」という、概念の更新をともなっていた点に留意したい。「彩色」という行為において、デッサンと色彩の位階は解消される。それは同じ時代に、スピノザが「情動」において精神と肉体の二元論が無意味になると言明したのと同型の営為であり(それはまたボワローの「崇高」概念の導入とも並行している)、たんなる転覆(subversion)というよりも、積極的な意味での倒錯(perversion)と呼ぶべきものだろう。そこでは高みと深みが同じ平面で輻輳する。そして、この倒錯なしに、近代も民主主義もありえなかったのである。」(白石)
1 月には、音楽におけるレトリックについて発表がされ、近代音楽における(古代修辞用語である)「テーマ」の重要性が問題にされた。以下に発表者自身による概要を記す。「G.Zarlino の『音楽教程Institutioni harmoniche』(1558)において、古代修辞学の術語であった<主題thema >が音楽において用いられて以来、<主題>は、近代西洋音楽の作曲法を根本的に支える理念となった。ネーデルランド楽派をはじめとしたルネサンスの通模倣様式によるポリフォニー声楽曲は、歌詞の一句一句とともに新たな主題が現れる多主題の構造(point)であった。一方、その声楽曲の模倣から始まったとされるポリフォニー鍵盤楽曲において、17 世紀の諸作品は、その多主題構造を踏襲したもの、主題が自在に変奏・変容されて行くもの、限定された主題による統一という理念に向かうもの等々、と極めて多様であった。言葉の制約から離れた器楽曲において、音楽作品としてどのような美学的理念のもと一作品が構成されたのかを検討するにあたり、異質なものを多様に内包しようとするものと、限定された素材により統一を図ろうとするものとの2つの指向性に仮に要約を試みた時、<バロック>/<古典>といった美学的対軸をはじめ、西洋における同時代の政治・文化の諸相との学際的な視点を獲得することは可能かどうか、発表者により問題提起され, 質疑応答が行われた。」(佐藤)
2 月は「戯曲事典」発刊に向けての編集会議がなされ、3 月はポール・ロワイヤルの教育におけるレトリックの問題が論じられた。以下に発表者の記した概要を報告する。
「ジャンセニストの隠居士たちが運営し、劇作家ラシーヌが学んだプティト・ゼコル(1637 年~ 1660 年)は短命であったが、フランスの教育に大きな影響を与えている。発表ではルネサンス以降のレトリック中心の人文教育をどのように継承し、変革していたのかを検討してみた。教師の執筆した教科書や資料から判断する限り、フランス語を介したラテン語初等教育に転換したのに加えて、古典の翻訳を導入するなどフランス語での表現力も重視するほか、レトリックの技術を高学年で教えながら、全体的には古典作家の広範な読書を重視し、良質な文学作品のほか歴史書にも重点を置いた。またレトリックに関する長い歴史的倫理的論争も背景にあり、イエズス会と異なってキケロ的な荘厳なレトリックや「描写のレトリック」から距離をおいた教育がなされた可能性が高い、と結論づけた。(本発表は明治大学の人文学研究所の個人研究費(二種)の支援を受けた研究に基づく)」(萩原)
以上が2007 年度の研究発表の概要である。古代ギリシア・ローマの時代からレトリックが重視されてきたことは周知の事実であり、17 世紀の人びとがそれに注目しなかったはずはないのである。私たちは、単なる作品・作家研究ではなく、絵画におけるレトリック、音楽におけるレトリック、劇表現におけるレトリックなど、さまざまな分野におけるレトリックに今後も注目して、研究を充実させていきたい。
2007 年度にはイヴェントの企画はなかったが、GCOE の助成で17 世紀の戯曲のマイクロフィルムや書籍を購入することができた。「17 世紀フランス演劇研究会」が誕生して以来収集し(ちなみにこれまでのフィルムは早稲田大学演劇博物館に保管されている)、その後一時中断していたマイクロフィルムの購入を、このたび再開できたことは私たちメンバーにとって大変有意義なことであり、貴重な文献や書籍と併せて、今後の研究活動に活用する予定である。